「憧憬」
この「憧憬」という言葉が、ふと浮かんだのは、2011年夏の甑島だった。
初めて甑島に行ったのは小学生の時。あの時の私の甑島のイメージは「魚」「台風」「おしん」。
魚は釣った魚を料理してくださった石原荘のゴハンが美味しかったのと、潜って見た魚たちが美しかったのと。
台風は、そのまんま。台風が来て延泊。
おしん。。は、その台風の影響で外に出られず、テレビで観たのは甲子園と朝の連ドラ「おしん」。
これが私が10歳だった時の甑島。
あれから28年後の夏。大人になった私は、まんまと甑島にやられた。美味しい食事、人々、そして美しい景色。そこで感じる風が心地よいことに。その空気感に。「美味しいんですよ!」と連れて行かれ食べたのは魚ではなくステーキだったり(笑)魚はもう当然のように美味い。ゆるい忙しいとかそんな時間的なスピード感ではなくて、もっとやさしいような時間。
2011年の夏は甑アートプロジェクトをやっていて、ENGAWAというカフェがあった。六代目百合を呑みながら、今でも忘れない、ゆっくりとした時間を過ごした。一緒だった友人が「これよりもっともっとスゴイんですよ」と言って見上げた夜空の星は、それでもだいぶスゴかった。大人になってから、こんな星、いつ見たんだろう?
こういう時間を書き留めたかったんだと思う。今思い出しても思い出せないが、宿に戻った私は「憧憬」という詩を書き終えていた。
2011年以後、毎年甑島へ行った。
年に1度ではない年もあった。
風、太陽、月、星、光。そういう普段から感じているはずのものを、さらに感じ易い場所。それが私にとっての甑島。それが日帰りだとしても、あそこに行けば、それを感じられる。信じている、にも近い(笑)
前述したENGAWAカフェをしていたのが、その後「山下商店」を開いた山下ケンタ・まゆ夫妻。2016年8月15日から、その山下商店でちょうど「光の風」という写真展が開催されていた。写真家コセリエさんが撮り続けている甑島。大きな作品はもちろん素晴らしかった。でも小さな写真に収められていた「島の風景」。島の人たちに受け入れられている空気感が漂い、同じ目線のやさしい写真。最近「スナップ写真」というものの持つ力の強さを感じているが、コセリエさんの写真にはそういう強さがある。でも写し出された絵はやさしい。ちゃんと甑島の吹き抜ける風が写っている。
今回、その写真展開催中の山下商店の夜を楽しむ「シマバル」の席で、弾き語りライブをさせていただいた。海外から県外からのお客様が楽しむ甑島の夜に、私の歌がおじゃまむし。とても嬉しかった。嬉しさの余り長く演り過ぎた気もする(笑)。2011年夏からちょうど5年の今年の夏。「憧憬」を歌えたことの安堵のような感覚に、少し驚いた。
甑島は神の島、とも言われている。私は神道なので慣れ親しんでいる考え方だけど、私たち人間にとっての身近な神は自然そのもの。光、風、太陽、月、星、水、木々、花、緑、そして人々。。キリがないほどの自然を感じる甑島が「神の島」と言われるのは、頷ける話。(諸説あると思います)
これまで私にとって夕焼けの記憶が強かった甑島だけれど、2016年は朝日。焼けた朝日を甑島で観たのは初めてだった。太陽が昇る前から、暑さを感じる太陽になるまでの朝日をじっくり眺めた。赤く焼けた朝日が一度雲に隠れた時に、色が白く輝きを放った。熱い暑さを感じる照りつける日射しに変わった瞬間だ。何かに許された気さえした。また次へ進めるような。
あの時、衝動的に書いた「憧憬」という詩。それが5年後、こんな今に繋がっているなら、人生は良きも悪きも、良き、なのだ。
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