そこは、日常。
歌を歌い始めたのはもう記憶にもない年齢の時からで、気づいた時にはいつも歌っていた。有名シンガーのインタビューに必ずある文章のようなはじまり(笑)
歌らしい歌を作り始めたのは大学生だったけど、小学4年生の時「よし、作るぞ!」とオルガンの前に座り、五線譜を並べて、何か弾こうとした時の記憶は鮮明である。オルガン弾けないのに(笑)その時に見ていた窓の景色まで鮮明である。今はもう無い中洲通りの柳の並木の緑色が太陽に照らされてあおあおしてる季節だった。
歌を人前で歌い始めたのは高校の文化祭。バンド演奏。いや、もっと遡ると、小学生の合唱部の時か。。中学生の合唱部もそう。市民文化ホールや県文化センターでの緊張感漂う出演前の記憶。
自分で作った歌を人前で歌い始めたのは30歳を過ぎてから。「日本の歌です」とSMAPのセロリをギター弾いて歌ったのは26歳の時にカナダで。でも自分の歌を歌ったのは32歳の時のオーストラリアだった。改めて思い出すとキッカケは海外か。。結局、自分を開かないとコミュニケーション出来ない土地では「自分が一番好きなことは何か?」というのがわかる。異文化コミュニケーションには武器が必要。「お前の特技は?何が出来るの?何が好きなの?」っていう会話が相手を知る突破口になるから。ただ英語を喋りたいだけでは、会話にならない。「自分」を伝えないといけないから。
私は本来、とても引っ込み思案だ。今の私だけしか知らない人には信じてもらえない(笑)入ったお店で、手が届かない商品を手に取りたい時に、お店のスタッフさんに「アレを見たいのですが。。」とお願いすることも出来ないような人間だった(笑)
だから自作曲とかを誰かに聴かせるなんて、あり得なかった。親にも聴かせたことはなかった。今のような活動をしている私に一番驚いているのは親戚だと思う(笑)そんな私を変えたのは、たぶん英語。旅。
あの時、英語の勉強というか「英会話」を始めた26歳の時。もし始めてなかったら。。と思うとゾッとする。きっと歌もやめてたかもしれない。私という人間の今はあまり面白い人間じゃなかったかもしれない。今もたいして面白い人間ではないけれど(笑)。
どんな時も知らないことばっかりだし、そんな必要ないんだろうけどいつも焦っている。不安しかない。学びたいことは日に日に増えていく。けどやらなきゃいけないことも日に日に増えていく。時間が足りない。歌を歌う活動は今後の私の何になるのか?
それでも歌が歌いたい。どうやったら、こうやって歌を続けていけるのか?その方法を考えれば考えるほど、結局これまで以上にやり続けるしかない、ってのはわかった。日本の南のイチ地方都市の中で、こうやって歌える場所があって。毎日がいつも信じられない。でも現実。こんな日常を生まれ育った鹿児島で過ごせている幸せ。
最近やっと「うたう」ことが、ほんのちょっぴりわかった。わかった気になってるだけかもだけど。説明は難しい。
ただ好きで歌うことじゃなくて、人前で、ライブで、何度も同じ歌を歌って、何度もステージをして。動いてきたことで、やっとわかってきたことの「ちょっぴり」。
「同じ曲やってると飽きる」っていうプレイヤーがたまに居るけど、今ならキッチリ、その発言を否定出来る。飽きる気持ちはわかるけれど、それは違う。まだまだまだまだ、見えてくるコトはたくさんたくさんあるから。
けど肯定することも出来る。それがその人の道だろうから。私と見えてる景色が違うというだけ。
私のやってるステージ分量じゃ、ぜんぜんあまちゃんだってこともわかる。
今居るトンネルをくぐり抜けると一瞬は空が見える。けどまた別のトンネルに入るだけ。そこは明るいのか?暗いのか?ひとつだけ言える。暗くても明るくても歌を歌いたいし、歌は楽しい。楽しいだけじゃないけど、楽しい。
両親を手伝って、パン屋をやってなかったら、過ごせなかったかもしれない日常。トンネルの中も、トンネルの外も、そこが私の日常なのだ。
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