STOMP

新栄町のSTOMPが、今週の月曜日で明け渡されました。加治屋町→天文館時代のSTOMPを、私は知りません。

私はどちらかというと、足を踏み鳴らし歩いてきた方ではなくて。今現在、他者から見られてるイメージはともかく、目立たないように音を鳴らしていた。ソレが私の若き時代で。
絵を描いても自信だけ増えて。歌を作っても自信だけ増えて。オモテへさらけ出すことをせず、誰かに批評されないまま、自分の世界へこもりアウトプットせず、インプットだけが増えて。あのインターネットが無かった世界で、ひたすら情報をかき集め、机上の空論に近いやり方で、自分の内側だけを太らせていってたんです。外を見ずに。世間を舐めてたんです。
20代後半から英会話を本格的に勉強し始めて、少し話せるようになると、一気に外の世界へ向かいたくなりました。私はこのまま家業を手伝いながら、過ごし老いるのだろうか?。。。そんな時、いくつかの大手レコード会社から、デモテープの返事が来るようになって。けど同時に、アツク大きくたぎらせてた想いが不思議と、30歳を前に小さくなっていきました。
曲作りはやめなかったけれど、レコード会社にデモテープ送ったりはしなくなりました。
もっとリアルに大地を踏みならそう!
そこで出かけたのがオーストラリア横断の旅でした。32歳。今みたいにスマホも無いから現在地なんてわからない。たよりは、自分の言葉と地図。ありがたいことに各地に友人は居たから宿には困らなかったけれど、移動はとにかくひとり。行った先々の街を、ただひたすら歩きました。

メルボルンの街中で、バスキングしてる人がいて。ストリートミュージシャンってやつです。その時一緒にいた人が「さくらも歌えるんでしょ?(英語)」と。不特定多数の知らない人々を前に歌ったのは、ソレが初めてで。歌った瞬間のダイレクトな反応はいまだに思い出されます。あの、女の子のキレイな瞳。What a beautiful voice!と言ってくれたあの瞳。実はあんまり顔覚えてないんです笑 とにかく瞳のキラメキだけ記憶に焼きついて。
一度小さくなった想いが、また少しずつ大きくなって。30歳を過ぎた自分だからこそやれる何かってきっとある。その一心で、私はここまで来た気がします。
年齢なんて関係ない、と言い聞かせて。でも関係ある(笑)。時間が無いように感じてたから焦ってました。今から今から!と人の3倍以上は動きまわって。ウザかった人も多かったことでしょう(笑)Actionあるのみ、と進んできて。そんなさなか、出会ったのが原口さんでした。

ハッキリおぼえてますが、Good  Neighborsの店内。何かのライブの時だったと思います。「STOMPの原口さん」と紹介されました。その後別の場所で遭遇「先日挨拶した者です。おぼえてますか?」と訊いたら、肩で笑いながら「キミのこと忘れる人いるの?」と言われまして笑笑 

鍵盤の、きたぞのまゆみさんとの出会いは、いつ、なんの場面で出会ったのか?実はおぼえてないんです笑 けどその時原口さんとご夫婦と知らなくて。

で、お二人との音楽的なお付き合いのキッカケになる、アルバム「スエヒロガリ(2014)」の中の曲「Happy Birthday 」のレコーディング演奏をお願いすることとなり、今に至ります。
このブログの最初で、20代だった私が「ひたすらインプット」していたことを書きましたが、それをやっとアウトプット出来るようになってきて。だいぶ勢いづいてて。だってカッコつけてる時間はなかったから、泥臭くても突き進んでいこうと。。。それを「音楽的に」いさめてくれたのがSTOMPだったんです。
私はSTOMPがなければ、きっと途中で音楽やめてたかもしれないと、ふと思う時があります。けど私の「歌えなさ」「ヘタクソさ」を正面から教えてくれた、原口さんとまゆみさんが、一緒に演奏してくれていたから、私は私の現在地を知れたんだと実感してます。
無論、まだぜーんぜんです笑
私はもっともっと歌が歌えるようになりたい。そのためには「STOMP」は必要な存在です。

ひとまず、お疲れ様でした。

次の私のニューアルバムは、
全曲、STOMP夫婦と作っていく予定です。
今はまた、インプット中です。
コロナという未知のウイルスに、また私が、あの20代の引きこもり時代に無理矢理連れ戻されたような。そういう期間です。まだまだ引き出しはありますから。ずっと作り続けます。
原口さん、まゆみさん、いつもありがとうございます。
#変化の時はまだまだこれから
#家業も大切 #自分も大切 笑
#知識と教養も大切
#walkinnとはまた別の話
#STOMP #鹿児島
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#東郷さくら
#シンガーソングライター

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