2018年7月の水害でメモしておきたかった気持ち

東北地震の時。2011年。この番組が始まれば今12時、と、分かるような日常が急に変わった。福島の友人とは連絡が取れない。何から始めればいいのかわからなかった私が手伝ったのは「こころのえてがみ」というプロジェクト(主宰/末吉礼)だった。2018年現在活躍してるアーティストの方々が無償で作品を提供。売り上げを全て寄付するというものだった。テレビの取材も受けた。役立ってるのかどうか?という実感は正直なかった。

その後「繋がらないといけない」という魔法が解けてきても、いつどこで何が起こるかわからない、という感覚だけは残った。なんか焦る。「今、やらないと。今、やらないと」私がずっと「歌を歌いたい」という気持ちを持ち続ける原動力にもなった。明日は我が身。

2016年。鹿児島のすぐ隣。熊本で大きな地震が起きた。熊本には伯父や従兄弟たちも居る。
東北の時の経験が活かされ、鹿児島の私たちの周辺ではウォークインスタジオを中心とした多くのボランティアが、ある程度の統率の中で効率を考えながら動いた。
「自分が出来ること」でサポートする。わかっちゃいても、現地まで行って身体を動かすことに意義があるように思えて、落ち着かないこともあった。たった一度だけ、友人と実働ボランティアに行った。日本全国から人が集まっていた。とあるお宅の庭の片付け。ひとつの家で5、6人のボランティアが一斉に動くと短時間で終了。人海戦術ではないけれどマンパワーってこういうことなんだろう、って思った。

2018年。梅雨前線の停滞による大雨。こんなにも大ごとになるなんて誰も思ってなかった。明日は我が身とわかっていても、まさか自分が?というのが人間の本心。

全国各地で被害が拡大する中、愛媛県宇和島の吉田町に嫁いだ友人ドラマーが、バンド仲間のライングループに「やばいかもしれない」と最初の一報くれたのが7月7日の朝7時。土砂崩れで濁流が押し寄せて避難も出来ない。近所の人が水に飲み込まれて。。と、それが彼女の住んでる地域の現実だった。途中幾度かのやり取り。

7月8日の朝になって少し落ち着いて「怖かったですが、みんなのおかげで精神的にかなり安心して過ごすことが出来ました!」と。電気の確保もままならない中、私たちが心配しないように報告してくれていた。ネットのありがたみ。

7月8日夕方、その被災中の友人から電話が来た。「水がない。SNSを利用して救援要請をしたいのですが」という相談。電話の向こうの声は「自分が動かないと」という少し張りつめた声にも聞こえた。話しながら私も「どうしよう?どうしよう?」と頭がぐるぐるしそうになったけど、もう次の瞬間「ウォークイン野間太一に相談!」ってそれがコタエだった。

友人の電話から30分以内。もう松山のライブハウスから水を持って向かったという連絡が来た。
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何かあるたびにSNSは情報で溢れかえる。時には偽情報に惑わされる。2016年ニュージーランド地震の時は、ツイッターで流れてくる”見たら慌てそう“な情報はほとんどが2011年の時のものだった。それを「大変だ!」と見た人たちが拡散。何百何千と拡散されていく。そしてホンモノの情報が埋もれてしまう。インターネットあってこそ、のことはたくさんある。。けど時に有用で時に迷惑。

ソーシャルネットワークも大切。だけどそれを利用するのは人。「アナログでリアルなネットワーク」のマンパワーの重要性を改めて感じた。人と人の関係は積み重ね。同じように「ベストな方法」というのも経験の積み重ね。東北ライブハウス大作戦から、熊本の震災。それ以外の事でもいろいろ起こる度にサッと動く人たちがいて、日本全国で音楽仲間たちが連携している。

喉の奥に引っかかった小骨が、あとちょっとで取れそうな。。今そういう気分です。誰かの為の誰かのチカラとはいったいなんなんだろう?見えそうで見えない。わかりそうでわからない。
友人に「さくらさん、ありがとう」と言われて、安心感と安堵感に涙腺が緩んだ。私は何もしていないのに。

ただしっかりと実感出来つつあるのは「適材適所」という感覚。音楽も、そう。
(写真)WALK INN STUDIO 野間さんの連絡で、速攻動いてくださった松山ライブハウス・ダブリューの皆様。本当にありがとうございました!!!
(転載許可済み)

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